好きなものを、先に食べた日。
私は、自分を満たした。
それは、とてつもなく小さな、小さな出来事だった。
ある日の夕食。
いつものように家族みんなで食卓を囲んでいた。
その時、私は小さなチャレンジをしてみた。
自分の好きな食べ物を、「好き」と言って、誰よりも先に食べる。
たった、それだけ。
他の人から見れば、
「そんなこと?」
と思うような出来事かもしれない。
でも、私にとっては人生が少し動いた瞬間だった。
母親になってからの私は、
「子どもが先。」
それが当たり前だった。
子どもの好きなものを取り分けて、
家族が食べ始めてから自分は最後。
何の疑問も持たず、
それが母親なんだと思っていた。
だから、自分が先に好きなものを食べることに、少し勇気が必要だった。
今思えば、その時初めて私は「自分を先に選ぶ」という経験をしたのだと思う。
どうして、こんなに勇気が必要だったんだろう。
そう考えた時、一つ思い当たることがあった。
ある日、夫がこんな話をしてくれた。
「うちは、好きなものは『食べたい』って言わないと食べられなかったよ。」
私は驚いた。
私が育った家では、好きと言わなくても「これ好きでしょ?」と自然に勧めてもらえる家庭だった。
与えられることが当たり前。
だから、自分から「これが食べたい」と伝える経験があまりなかった。
一方で夫の家庭では、自分の意思を伝えることが当たり前だった。
「これ食べてもいい?」
「私はこれが好き。」
そんな会話が自然に交わされていたという。
もちろん、好きなだけ食べるわけではない。
家族みんなのことを考えながら、自分の気持ちも大切にする。
その話を聞いた時、私は初めて気づいた。
「自分の気持ちを伝える」という文化の中で育ってきた人もいるんだ。
たった一口。
でも、その一口は私に大切なことを教えてくれた。
自分を大切にすることは、わがままではない。
自分で選んでいい。
自分を満たしていい。
そんな当たり前のことを、私は少しずつ自分に許せるようになった。
それからの私は、食事の時間に自分へ問いかけるようになった。
「私は何が食べたい?」
「本当に後でいい?」
そして今は、ちゃんと好きなものを食べている。
時には子どもたちに笑いながら、
「それ、ママのだからね。取らないでね。」
なんて言えるようにもなった。
すると、不思議なことが起きた。
子どもたちが、
「ママ、食べる?」
「ママの分、残しておくね。」
そう声をかけてくれるようになったのだ。
私は何も教えていない。
ただ、自分を大切にする姿を見せただけ。
それだけで、子どもたちは自然と相手を思いやることを覚えていった。
昔の私は、
「母親だから我慢する。」
それが愛だと思っていた。
でも今は違う。
自分を大切にできる人は、周りも大切にできる。
私はそう思っている。
好きなものを先に食べる。
たったそれだけのこと。
でも、その小さな選択は、
「私はどうしたい?」
と、自分に問いかける人生の始まりだった。
仕事も。
子育ても。
人生も。
誰かに決めてもらうのではなく、
自分で選んでいい。
あの日の小さなチャレンジは、
そんな当たり前だけれど大切なことを、私に教えてくれた。
今日も私は、好きなものをおいしく食べる。
それは、自分を大切にするという、小さな幸せの積み重ねだから。